礼拝のお話し(2024年2月)要約 |
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2月25日 第四主日礼拝 影山光牧師 「愛と真理に建つ教会」 聖書(新改訳) エペソ人への手紙 4章14-16節(中心 16節) ☆人間は皆、子どもから大人へと成長します。同様にクリスチャンも、聖書が薦める信仰生活を実践していく中で、霊的に子どもから大人へと成長します。 ☆霊的な子どもの特徴は「不安定さ」「です。教えの風や波に弄ばれ、信仰がぐらつきやすいのです。しかし、クリスチャンとしての成長が与えられると「人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略」と呼ばれる聖書的でない教えや異端的な教えと正統的な信仰とを、聖霊の導きの中で見分けるようになります。心が惑わされても、聖書に自らの立つべきところを見出し、信仰が安定するのです。 ☆例えば「救い」について考えてみましょう。聖書は神の恵みのゆえ、信仰によって救いを得る信仰義認を語っています(エペソ2:8,9、ローマ3:20-24など)。しかし、カトリック教会は救いの教理に独自の条件を付随し、「信じるだけでは救われない」と現代の律法主義とも言うべき教えを語っています。この教えに従えば、プロテスタント教会のクリスチャンは誰一人として救われていないことになるのです。しかし、私たちの救いは聖書が保証しています。 ☆また、万人救済説という教えもあります。こちらは、救い唯一の条件、「イエス・キリストを神の子救い主と信じる信仰」さえも救いには必要ないとし、全ての人が永遠の滅びから免れると教えます。しかし、聖書は信仰を拒む人々に対する永遠の滅びを語っています(Ⅱテサロニケ1:8,9、マタイ25:46など)。 ☆教会は聖書の言葉、すなわち真理の上に建つのです。その場合、大切なものは愛です。間違った教えに流されている兄弟姉妹を見ても、無関心でいれば、議論も一致もありません。人は愛がなければ真理を語ることができないのです。私たちは愛をもって真理を語り、兄弟姉妹と、キリストにあって固く結ばれる教会を建てさせていただきましょう。 |
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2月18日 第三主日礼拝 影山光牧師 「個人の平和と国家の平和」 聖書(新改訳) マタイの福音書 5章38-42節(中心 39節) ☆聖書は個人の関係においては、平和主義であることを勧めています。他人が悪を謀っても愛をもって対応し、恨みを抱かず、復讐を神に委ねるなら、神さまご自身が最善の時に報いをしてくださるのです(ローマ12:18,19)。同時に、聖書は正当防衛を禁じておりません。不当な暴力(虐待や強盗など)の危険を感じたなら、対抗して良いのです。パウロはユダヤ人の襲撃を事前に察知した際、ボディガードをローマ政府に要請しました(使徒23:23)。相手に殺人という罪を犯させないための抵抗や、正当防衛は許容されるのです。 ☆次に国家についてです。聖書は国家が剣(武力、警察力の象徴)をもって治安をコントロールし、平和を作ることを認めています(ローマ13:4)。もし国家が罪を犯した者を無条件に赦したなら、悪を抑止することができません。個人の関係で相手の罪を赦すのは美しいことですが、国家は武装し公正に裁く機関として存在するべきなのです。 ☆国際社会においてはどうでしょうか。国家ごとに警察や軍隊がいますが、世界の警察はいません。ですから、自衛のための武装が各国に委ねられ、国家ごとの同盟や条約も多数存在しています。あるいは、世界が一つの国家となり、警察のような抑止力が生まれれば他国への侵略はなくなるかもしれませんが、世界で唯一の権力を得た国家権力は暴走するでしょう。この地上における国際間の平和は理想論のように思えます。 ☆しかし、聖書はキリストの地上再臨の時に真の平和が実現することを預言しています(イザヤ2:4)。イエス・キリストと第一の復活に与った殉教者たちがこの世界を治め、千年の平和が実現するのです(黙示録20:6)。 ☆私たちはこの希望を待ち望み、「マラナタ、主イエスよ、来てください」と祈りましょう。また、キリストの再臨に備えて身を慎み、いよいよ宣教に励もうではありませんか。 |
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2月11日 第二主日礼拝 影山光牧師 「役割を自覚して賜物を用いる」 聖書(新改訳) エペソ人への手紙 4章7-13節(中心 13節) ☆教会に集う人々の信仰が成長し、教会に救われる人が加えられていくために、イエスさまはどのような方法を用いられるのでしょうか。 ☆イエスさまは何よりも先ず、聖霊なる神さまを地上に遣わしてくださいました。この聖霊なる神さまのお働きによって教会は成長するのです。クリスチャンはひとりびとりがこの聖霊さまを心の内に宿しています。この聖霊さまこそイエスさまからの贈り物、賜物です。聖書を解き明かし、教会の信仰を一致へと導いてくださるお方です。私たちは日々祈る時、聖書を読む時、この聖霊なる神さまの助けを求めるなら、不思議なように祝福されるのです。 ☆また、イエスさまはご自分の体なる教会を成長させるために、具体的に様々な聖書の教師を立てて聖書を解き明かさせ、教会を成長させてくださるお方です。「使徒」と「預言者」というのは、新約聖書と旧約聖書と言い換えることもできる言葉です。つまり、何よりも先ず聖書の著者が起こされ、神の言葉が書き留められました。そして、福音宣教のために働く多様な働き人が立てられています。今日の日本では、全国を巡回する伝道者、Youtubeを中心に活動している伝道者、高校生伝道団体や大学生の聖書研究会の運動、ワーシップリーダーなど多くの伝道者がいます。彼らのメッセージは無料で視聴できるものも多くあります。それらをぜひ調べて、機会を見つけては視聴して欲しいと思います。彼らは今日の日本の教会の成長のためにイエスさまによって立てられている器だからです。 ☆しかし、同時に注意が必要です。それは、オンラインで得た知識を「教会を裁く道具」にしないということです。イエスさまは教会を建てるために伝道者を立てられました。教会と教えていることが違うことがあった場合は、教会を批判せず、牧師や役員と対話し聖書理解を深める機会にさせていただきましょう。 |
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2月4日 第一主日礼拝 影山光牧師 「御霊の一致を保つ」 聖書(新改訳) エペソ人への手紙 4章1-6節(中心 3節) ☆ここでは、キリストの体なる教会に繋がるクリスチャンが各々、御霊の一致を保つために熱心であれと勧められています。教会では皆が同じ神さまを信じているのだから、自動的に一致できるかと言えばそうではありません。教会の一致には各々の信仰と愛が問われることなのです。 ☆先ず聖書は、「召しにふさわしく歩みなさい」と語っています。「召された」とは「キリストを頭として生きるように神様から呼び出された」という意味です。それは、自分の考えや自分の思いよりも、聖書の考えや神の御心を優先する生き方です。「私はこう思う。しかし、聖書がこのように語るのだから、こうしてみよう」と、神に信頼して自分の考えを脇に置くのです。そのように生きる時、私たちは人知を超えた祝福ある人生に導かれていきます。このキリストを頭として生きることが一致の基礎です。 ☆同時に、それぞれがキリストを頭として生きたとしても、互いに意見が対立してしまうことがあるのが罪人の集まる教会です。かつて、私たちの所属するホーリネス教団も分裂を繰り返しました。戦時下でも信仰を守り抜いた素晴らしい信仰者たちが、互いの主張が食い違った時に裁きあい、違う道に歩むことを選んだのです。迫害にも負けなかった信仰者たちを心から尊敬します。しかし、愛が失われた時、謙遜に耳を傾け、忍耐をもって対話することができなくなってしまいました。 ☆私たちは忍耐や謙遜が苦手です。しかし、聖書は励まします。「主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。」同じ聖書を土台とし、同じ神さまを信じるのだから、いつかは一つになれるというのです。私たちは互いに人を自分より優れた者と思いながら謙遜になりましょう。愛をもって言葉の過ちも赦しあい、「ごめんなさい」と「ありがとう」を大切にしましょう。そして、同じ方向を向いて祈り、宣教や会堂建設に励んでいきたいと思います。 |
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